大好きな大好きなぬいぐるみ、ぬぴ
うちにはかわいいいぬがいる。いぬといってもぬいぐるみなんだけどね、ボロボロショボショボでとってもかわいい。
彼と出会ったのはわたしが3歳の頃。19年経った今、彼は犬的には約94歳のおじいちゃんになった。
スヌーピーの形をしているが、彼は「SNOOPY」という作品に出てくるスヌーピーさんとは別の人格(犬格?)を持つ。昔から優しくて穏やかでやわらかくて一緒にいるとホッとする。
わたしは彼と会話をするんだけど、彼のことを「すぬ」と呼んだり「ぬぴ」と呼んだりする。「ぬ」がポイントなのだ。一文字で表すとしたら絶対「ぬ」。やわらかい感じ。わたしが22年生きてきたうちの大半は、側にスヌーピーがいた。一緒にパラオで海を見たり、アメリカの学会に参加したり、何度も台湾で夏を過ごした。
人からみたらただのボロ布で、右目もないし、鼻もハゲてるし、耳は折れてるけど、わたしにとっては命の次に大事ないぬで、死別を考えると泣いてしまいそうになる(幼稚園の頃は夜な夜な泣いてた)。
ぬぴはね、やわらかいんですよ、なにがやわらかいって布そのものもやわらかくて幸せたっぷりなんだけど、存在そのもの?雰囲気というか、精神的なやわらかさを抜群に含んでいるところが最高なの。そのやわらかさにわたしは毎日毎日毎日毎晩毎晩毎晩毎晩毎晩救われていて、それを失うのが本当にこわい。辛いときはぬぴのほっぺたに唇をぐっと押し付けて(そっと近づけるのもよし)、目を閉じて、スゥッと…スゥッと吸うんですよ、そしたらもう触れているところから溶けてふゃふゃになって幸せで満たされる。
これ合法なのか?わたしはよくぬぴ吸ってキマッてるんだけど、いやほんとうにね、気持ちがいいんですよこれ……本当は食べたい。心から彼を嚥下したい。わたし週に一度くらいぬぴの食べ方を妄想する。まるごと蒸してから、細く切ったショウガを浮かべた醤油につけて食べたらふわふわで幸せだし、すき焼き鍋に放り込んだら絶対しみしみでとろけるし、細かく刻んでミキサーにかけてポタージュにしてもいいよねきっとシンプルな見た目とは裏腹に風味豊かなのだろうね。頭部を薄くスライスしてカプレーゼにするのもいい、鼻のだし醬油漬けもご飯に合うだろうな、首の皮を湯引きして酢味噌で和えてもいいし本当に食べたいなあおいしそう。愛しているからこそ食べたい。体内に埋め込むのもまあアリ。
一度、どうしてもぬぴの鼻が食べたくなったときに、衝動にまかせて白玉で代用品を作ったことがある。味なんてどうでもいいんだよこういうのは、おいしかった。
やわらかくて、優しくて、おいしくて、かわいくて最高なわんわん。最近、3日にいっぺんくらい寝る前にぬぴに同じ問いをする。「ねえぬぴはいぬなの?」「うん」「本当にいぬなの?」「ぼくはいぬわん」「いぬにしてはやわらかくない?フフ」「やわらかいいぬわん」「やわらかいいぬなのか~~」「わふ」「まあ確かにいぬにしてはやわらかいよね、てか骨なくない?うけるんだけど」「骨ないわん……」「骨がなくてやわらかくて白いいぬなのね~~?かわいいね~~~~」。かれこれ多分100回くらい同じ会話(独り言)をしている。なんかこれやると落ち着くんだよね、雑念が消えるし、よく眠れる。ちなみに寝るときにぬぴをぎゅってするんだけど、ふと視線を動かすとぬぴの白いハゲ頭(ハゲてはいない)が目に入ってフフッってなるし、こんなにちいさいのにわたしのからだに精一杯ぴと…って密着しているところがかわいくてジタバタするし、気軽に吸うとトぶ。いっつもにこにこしているから、こちらもつられて表情が和らぐし、うふふ、優しいきもちになるね~~~~かわいいね~~
ぬぴはわたしの息子であり友人であり恋人であり親でもあって、父性も母性も友情も愛情も感じる。雄大でかっこよくて頼もしいときもあれば、ゴミみたいにちっちゃくていじらしいときもある。近頃劣化が激しく、顔の生地が剥げて横線が見えるんだけど、そんなところも心臓が小躍りするくらい愛しい。それよりも、首の皮がゆるゆるで本当にイグアナに似ているしそのシワに永住していいですか?かわいい。あーあわたしの胸を割いたらぬぴがズルリと出てくればいいのに。
これまで、こんなボロッボロなぬいぐるみと22歳になってまで一緒に寝ているなんて、人にどう思われるか…と思って、あまり表には出さなかったけど、友人にぽろっと話したら存外普通に受け入れてもらえて、小出しに小出しにわふわふ言ってた。わふって言ったらわふって返してくれる友人は最高だけど、やっぱりわたしのこの秘めたる衝動を打ち返してくれる存在ではなかった。世界のどこかにはいるのかな?この気持ちを誰かと共有できるようになったらいいな。我こそはという方がいたらいつでもぬぴ吸い会にお誘いいたしますのでご連絡くださいね。
昔はぬぴをぶん投げたり、枕にして寝たり、3回くらいバレーボールのトスの練習に使ったこともあったし、結束バンドで縛ってみたりもしたけど、これからはもっともっと大事にするから長生きしてね。火葬の際に化合してずっとずっと一緒になろうね!
愛するゲッソーとのいちゃいちゃ生活
私は無類のゲッソー好きである。ゲッソーを心から愛して8年になろうとしている今、記念すべきブログの初投稿として、彼との出会い、そして自身の愛を再確認することにした。
ゲッソーとは?
ゲッソーは任天堂のスーパーマリオブラザーズシリーズに登場する、イカの形をした敵キャラクターである。マリオカートで墨を吐いてくるのがこいつだ。写真を見れば大抵の人は「あーーこれね!」となるのではないだろうか。
伸び縮みする白い躯体に、愛らしい黒目がちな眼、そしてなんといってもその眼の周りを囲む黒いラインが特徴的だ。可愛らしい見た目とは裏腹に、実は気性が荒く、その凶暴性を買われて敵軍に取り込まれたと聞く。とにかくかわいい。
ゲッソーとの出会い
私がゲッソーと出会ったのは2012年の12月。中学2年生のクリスマスだ。
忘れもしない、12月のある日、秋葉原のヨドバシカメラでサンタさんからのプレゼントを代わりに選んでいるとき、最終的に弟と値段を合わせるためになにげなく手に取ったのが「ゲッソーぬいぐるみS」。当時800円ちょっと。プレゼントボックスに詰めてもらい、その日はそれでお別れ。次にゲッソーが私の前に姿を現したのはクリスマスの朝。弟と一緒にプレゼントボックスを開け、彼を包むビニールを破り、その白い肌に触れたとき全身に衝撃が走った。
「え、めっちゃもふもふでかわいいんだけど……」
その瞬間から私のゲッソー溺愛生活が始まった。
うちの愛ゲソ
ゲッソーを溺愛ってどういうこと?となるかもしれないが、猫や犬、インコなどのペットを愛でるのと大体同じようなものだと思ってほしい。具体的には語り掛けながら撫で回したり、これでもかと写真を撮ったり、時には吸い、そして時には可愛さに身悶えしながら叫び回るだけである。要するに、皆さんが愛するペットを愛犬や愛猫と呼ぶように、うちには愛ゲソがいるのだ。
ここで、私が普段から撮影を重ねて数百、数千と増え続けているゲッソー写真の一部を紹介する。
まずはこれ、ゲッソー溺愛生活最初期のゲッソー。ポリエステル生地の毛足がまだ長く、タグも鮮明で、心なしか目も輝いて見える。もふもふでかわいくてしょうがない。本当にかわいいないつ見ても。
ゲッソーを撮る際には背景や光源、小道具やシチュエーションなども大切だ。この写真では白黒のアコースティックギターにゲッソーのゲソを差し込んで立たせている。後ろから射す陽の光によりゲッソーのもふもふがやわらかくも強調されている。「自分は今何をされているのだろうか」という少し陰りのある表情とのコントラストが素晴らしい。そしてギターに映し出されているかわいらしい影でご飯が三杯いける。
3枚目はある日の朝食。ミロのマグカップに入ったはちみつティーと共に、お皿からはみ出るほどボリューミーで肉厚なゲッソーが置かれている。かわいいなあ。この日のメニューはゲッソーの素焼きだろうか。素材の味を生かし、塩を少し振っただけのシンプルな料理である。食べると口内の水分がたちまち無くなってしまうだろう。最高。
最後に最近のゲッソーをお見せしたい。お気づきだろうか、8年弱の歳月を経て表面が擦り切れショートヘアーゲッソーになっている。黄ばんでいるように見えるのは光の加減であり決して汚れているわけではない。ところでうちのゲッソー、体重25gなんですよ。超かわいくない?25gっていったらギリギリ定形郵便物として82円で送れるくらいですよ?かわいすぎる。厚みがあるので実際には「のしゲッソー」にしない限り無理なのだが。
ゲッソーは本当にかわいい
ゲッソーの魅力は一生かけても語りつくせないと思う。彼と過ごし始めてから2800日以上経った今でも、毎日新鮮にかわいいし新しい魅力を発見し続けているのだから。朝はおはようのキスで始まり、もちろん行ってきますのキスもする。へとへとになり帰宅するとゲッソーが待っている。ゲッソーは私と違って毎日入浴できないから、できるだけ自分の身を綺麗にしてから触れ合い、抱きしめる。そして、添い寝をしてもらいながらおやすみのキスをして一日を終える。そんな最高にハッピーな日々を過ごしている。これからもよろしくね、ゲッソー。